今年は4年に一度の夏季オリンピックですね。
オリンピックにはいろいろな、雑学、エピソードがあります。
今回は「オリンピックの雑学」を色々と紹介したいと思います。
シンボルマークの五輪の意味
東京オリンピックのロゴでいろいろ問題がありましたね。
オリンピックシンボルマークと言えば五輪のマークです。青、黄色、黒、緑、赤の輪がそれぞれ結びついた形になっています。
オリンピックシンボルマークの意味は
世界5大陸(青:オセアニア、黄:アジア、黒:アフリカ、緑:ヨーロッパ、赤:アメリカ)
五つの自然現象(火の赤・水の青・木の緑・土の黒・砂の黄色)
スポーツの5大鉄則(情熱・水分・体力・技術・栄養)
さらに、5つの重なり合う輪は、「平和への発展を願い」とされています。
怒って金メダルを川に投げ捨てた選手がいる
1960年ローマオリンピックに出場し、金メダルを獲得したボクサーのモハメド・アリは、当時はまだ人種差別が根強く残っている時代で、アフリカ系アメリカ人であったモハメド・アリも、差別と闘いながらオリンピックに出場していました。
金メダルを獲得したにも関わらず、人種差別的な嫌がらせを受けたモハメド・アリは激怒し、メダルを川に投げ捨ててしまいました。
36年後のアトランタオリンピックで聖火ランナーを務めたモハメド・アリに、IOCは新たに金メダルを授与しました。
開会式の入場行進はギリシャが最初、開催国が最後
オリンピックで最初のイベントは開会式です。開催国の独特の演出など多くの方が見られたことがあると思います。
選手入場には順番が決まっています。
オリンピック発祥とされるギリシャが最初、開催国が最後です。その間の順番は原則として開催国の言語の順番となっています。
日本選手はメダルを噛むポーズをしてはいけない
定番となっているメダルを噛むポーズですが、2014年ソチオリンピックでは日本オリンピック委員会が禁止にしました。
理由は下品や他の選手に対し軽率な行動など、という理由から禁止にしたそうです。
今年のリオオリンピックも日本選手はメダルを噛むポーズは禁止になるでしょう。
メダルを半分にした日本人選手がいる
1936年のベルリンオリンピックに、棒高跳びに出場した日本人選手2人による「友情のメダル」と呼ばれるエピソードです。
棒高跳び決勝にてアメリカ人選手が11位に決まり、残る日本人選手2人(西田修平、大江季雄)で2位争いをしていました。
しかし、悪天候で試合が中止になり、日本人同士の順位争いだったので、西田修平は二人で2位を分け合うことを望み提案をしますが、1回目で大江季雄の記録を越していた西田修平が2位となり、大江季雄が3位になりました。
表彰式で西田修平は不服とし、表彰式で大江季雄を2位の台に上げ、自らは3位の台に立ちました。
帰国後2人は宝石店にメダルを持ち込み、それぞれのメダルを半分にしてつなぎ合わせて「銀銅ハーフ」のメダルを作りました。
フルマラソンの最低記録は54年8ヶ月6日5時間32分20秒03
1912年ストックホルムオリンピックにフルマラソンで出場した日本代表の金栗四三は、フルマラソン中に熱中症で意識を失い、近所の農家の人に助けられました。目を覚ました時には競技が終わっていました。
その後、帰国した金栗四三ですが、1967年、ストックホルムオリンピック開催55周年記念式典の準備をしていた関係者が、当時、主催者側に金栗四三の棄権の意図が伝わっておらず「行方不明扱い」のままになっている事を発見。
そこでスウェーデンオリンピック委員会は金栗四三を記念式典に招待し、正式にゴールさせたました。
金栗四三選手の正式タイムは、54年8ヶ月6日5時間32分20秒03となっています。
金栗四三は、ゴール後のスピーチで「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」とコメントしました。
オリンピックで初めて50mプールを見た水泳選手がいる
2000年シドニーオリンピックに、100m自由形で出場したギニア代表のエリック・ムサンバニは、オリンピック会場で生まれて初めて50mプールを見ました。
エリック・ムサンバニの祖国ギニアには練習用のプールがなく、17mしかないホテルのプールで練習しており、水泳経験もたった8ヶ月でオリンピックに出場。
その泳ぎは、溺れそうな必死の泳ぎで、観客は声援を送りました。
当時の100m自由形世界記録が48秒18に対し、エリック・ムサンバニには1分52秒72でゴールしました。
その後、エリック・ムサンバニにマスコミの注目が集まり、スポンサーが付いて、ギニア初の競技用プールが出来ました。
その後、エリック・ムサンバニの自己ベストは56秒95になったそうです。
まとめ
以上、オリンピックに関する雑学でした。
今年のリオオリンピックはどうなるのでしょうか?日本選手のメダル獲得に期待したいですね。